よねまんじゅうを求めて~和菓子めぐり

よねまんじゅうを求めて~和菓子めぐり

こんにちは。
無添加食品大好きの名畑(なばた)です。

 

今日から始まりました。
和菓子めぐりの旅、第一弾です!!

美味しい和菓子を求めて、あちらこちらに出没したいと思います。

今回は東海道にある和菓子屋さんに行ってまいりましたよ。

お邪魔したのは、鶴見駅に近い「清月」さん。

 

 

神奈川県名産100選に選ばれた鶴見名物の「よねまんじゅう」を扱っていらっしゃいます。

こちらを目指して、和菓子を買いにいらっしゃる方もとても多いんですよ。

場所はJR鶴見からも、京急鶴見からも近い場所にあり、わかりやすい場所にあります。

曹洞宗の大本山総持寺にも近いため、お墓参りやお参りに行った帰りなどに寄る方も大変多いとか。

 

名物のよねまんじゅうは、こんな一口サイズのおまんじゅうです。

口にほおばると、ゆっくり溶けていき、程よい甘さがあとを引きます。

 

他にも皮がしっかりしていてほどよい甘さの最中や

 

 

チャーミングな饅頭

 

柔らかくて、口の中でヨモギが香る蒸し菓子や

 

受験生用に応援を送るお菓子も

 

 

伺ったのは1月の末でしたので、節分用の黒豆餅も販売していました。

 

お店の前には、水仙の花が可憐に咲いていました。

 

よねまんじゅうのリーフレットをいただき、とても感激したのでのせておきます。

民謡「お江戸日本橋」で知られるよねまんじゅうは、東海道の鶴見橋を中心に軒を並べて売られていました。本来は江戸の初め、浅草の金龍山の門前で売り出されたお菓子で評判が良く、井原西鶴も「八百屋お七」の中で大きく書いています。

鶴見で名物となるのは江戸中期、八代将軍吉宗の頃で、よねまんじゅうは鶴見と江戸で知られていました。何しろ「初旅のまず鶴見から喰いはじめ」と東海道の名物第一号とされたほどです。

しかし明治五年の鉄道開通で街道を歩く人もなくなり、よねまんじゅうやは廃業しました。大正以降、鶴見の菓子屋も復活を目指して努力しますが、第二次世界大戦ですべてが灰となり、戦後、菓子組合の三十周年を機に復活(昭和57)。江戸時代は塩餡入りの大福に似た品物だったので、砂糖を加え小形で食べやすいように改良しました。その結果神奈川県の名産百選に指定されました(昭和60)。百選と言っても菓子部門は少なく本当に有り難いことです。これからも東海道や先人の苦労のあとを忘れずに努力していきたいと思います。

時代の変化とともに変わっていった菓子屋。

和菓子屋さんがだんだんと減る中、頑張っていらっしゃる清月さんには、優しい和菓子がたくさん揃ってました。

神奈川県横浜の鶴見に来たら、ぜひ立ち寄りたい優しい場所がここにはありました。