みたらし団子は5個がいい?それとも4個がいい?

こんにちは。
お豆大好きの名畑です。
春の季節は寒くなったり温かくなったりの三寒四温を繰り返してだんだんと春に向かっていきます。
和菓子屋さんでは桜の色を和菓子が並んでいましたよ。
桜色のカステラと花見団子です。
桜色って、見るだけでも元気になるから、お天気が悪くてもこの和菓子を見て食べれば1日も楽しく過ごせそうですよね。
春というとお団子が無性に食べたくなります。
私だけかしら?
餡子がまぶしてあるのもいいし、みたらし団子も食べたくなるのは何故なんだろう。
お花見をしながら食べたくなってしまいます。
そういえば、毎月3日と4日と5日は「みたらし団子の日」なんだそうです。
「み(3日)たらし(4日)だんご(5日)」の語呂合わせから菓子メーカーが決めたんですって。
毎月たくさん食べなくちゃね。
みたらし団子って、なんで「みたらし」っていうのかな~~関西と関東では5個とか4個とか刺さっている数が違うのは何故かな~~と気になって調べてみましたよ。
みたらしの語源は、たら~~と美味しい汁が垂れてるから・・・なんて想像してみたけど全く当たってませんでした(笑)
みたらし団子の由来
もともとは京都の下鴨神社で行われる御手洗祭りが関係しているそうです。
御手洗というとお手洗いを想像してしまいますが、それとは関係ありません。
この御手洗(みたらし)祭りとは、下鴨神社の本殿東側を流れる御手洗川、そして御手洗社があり、7月の土用の丑の日に御手洗池に足を浸けると疫病が祓われるという言い伝えから、参詣人が膝までひたり、無病息災を祈るという行事です。
この神池に足をひたして、神様に灯火をお供えし神様に祈り、御神水をいただくと、病気にかからず長生きできると言い伝えられています。
このみたらし祭りの日には、いつしか神社の境内に串団子を釣る店が登場し、その店主が砂糖としょうゆで味付けして出したところ、みたらし祭りの名物になり、「御手洗(みたらし)団子」と呼ばれるようになったそうです。
神事とつながりのある名前だったのですね。
こちらでは一つの串に五個お団子がありました。
一串五個になったのは?
鎌倉時代、後醍醐天皇が行幸の折り、下鴨の御手洗池で水をすくったところ、泡がひとつ浮き、やや間をおいて四つの泡が浮き上がったという説があり、その泡に似せて、竹串の先に一つ、そして少し間をおいて4つ重ねて団子をさしたという言い伝えがあります。
一つ目を頭、残りを体に見立てて五体満足の願いが込められていました。
厄除け人形として神前に供え、祈祷を受けた神聖な団子を持ち帰って、しょうゆをつけて焼いて食べたといわれています。
今ではいつでもどこでも食べられる手軽なおやつですが、そもそもはとてもありがたい食べ物だったようです。
関東も最初は一串5個で売っていましたが、「一つ一文。五個で五文」だったのですが、江戸の後期に四文銭ができたため、ワンコインで食べられるようにと一串5個から4個へと変わっていきました。
みたらし団子は4個とか5個とかの意識はなかったけれど、健康の願いが込められていたんですね。
もっともっと願いを込めてお団子を食べなくては!!
Love 和菓子